maru・sankaku・shikaku的考察に基づく日常

気持ちの趣くがまま真っ直ぐ歩く、そんな私をとりまく空気や一緒に流れていく時間を意識しながら綴った日常

人との関わり方に正論はあるのか

もうすぐ半世紀生きることになるこの歳になっても、様々考え悩むことはあるものです。人の社会に暮らす一員として、私の場合は人との関わりがその悩みのほとんどです。家族でも、親でも、友達でも、近所付き合いでも。自分の人生そのものについてももちろん悩みますし、反省したり肯定したりそりゃまあ日替わりで反芻しています。しかし多くの場合自分が行ってきたことなので、自分自身で責任を取り受け止めるしかない、それは将来に至っても同じことです。人との関わりは、自分ではどうにもならないこと、どう考えても答えを出せないこと、そういうことが多くて私を悩ませます。一旦切りをつけても後になって違う考えに思い至ったり、相手の気持ちになって考えなおしたり、終わりない課題です。いつも正しい答えにたどり着きたい、私自身の正義と社会の正義と一致したところで、そう思っているのだけれど、さてどうでしょう。裾まくって逃げ出したい時もあります、私の遺伝子には関わりというものを拒絶する何かが含まれているのかもしれません。一人でいる時に感じる平安、しかしそれとて不確かなものだと知っています。社会の一員で人と関わる暮らしの中にいるからこそ感じられる平安だと知っているからです。一人ぼっちでは生きていけない、言い古されたことではありますがこれは事実です。人生を思う時の尺度に、人との関わりはとても重要な要素となります。これなしでは人間社会は継続できない、人類の進歩の産物です。

仲がよい友達、いや家族だとて同じ考えをする人はたった一人としていません。至極共感できる人がいても、それでも一から十まで同じなどありえません。人の抱えている思いや悩みを知った時、だからよほど驚かされることがありますし理解できないこともあります。価値観が違う場合など天地がひっくり返ったかのような驚愕を覚えることもしばしば。共感が全く持てず許容できる範囲を超えた思想を持つ人とは友達にもなれないし、関わりさえ持つのも嫌ですけれど。それが縁つながる場合はそんなことも言っていられず、なんとか折り合いをつけねばなりません。しかし他人の場合は拒絶、私にその他の選択の余地はありません。関わりが上手じゃない証拠です。そういう自分を人として欠落しているのではないかと変革すべく努力した時期もありましたが、それはすでにやめました。意味がないとわかったからです。無理をして築いた関わりになんの役もないのです。自然に発生するからこそ良好な関わりが生まれる、良好でないかかわりなぞ誰が欲するでしょう。あるがままに任せて自然体でいこうと決めてしまっています。関わりは広げるのではなく広がるのです。無理は続きません、身が持ちません、楽しくありません。エネルギー溢れた若いころとは違いますから、今ではそんなふうに思っています。うんと歳を取った時にどう考えるかはまだわかりませんけれど。

大切な友達が明らかに道を踏み外したとしても、それを周りが止めることはできない、これもエネルギーの無さなのかどうか。青春には議論戦わせることもありましたが、今は基本的に本人の考えを尊重することを第一にします。犯罪に巻き込まれる場合にも、健康を損なう場合でも、それは同じです。意見はします、渾身の気持ちを込めて。それでも友達の考えが翻らなければ他の仲間にも援護射撃の応援を依頼し、また期を待って再度意見し、角度を変えて再々度試み、そして手を尽くした後は見守ります。話も聞きます。そして、私は心の中でずっとずっと気に掛け続けるのです。これが私の悪い癖、自分の体調を崩すほどそのことに囚われてしまうから。話の聞き上手でしかもそれをその場のことだけにして引きずらないでいられる人がうらやましくてたまりません。自分の考えにしても、口に出して、そして考えが変わればまた口に出して、実際はそうくよくよせずにいられる人がうらやましくてたまりません。友達の重い気持ちや状態を知らされると、どっぷり浸かってしまう私は聴き上手でもなく慰め上手でもなく、ただ一緒になっていやそれ以上に深く沈みこむという性格はなんだっていうのでしょう。それでも大切に思っている人のことを心配せずにはいられない、切り捨てることなど決してできないことです。関わりとは楽しい時間だけではないのです。どちらかというとそうでない場合が多い、それでもそれこそが人間社会なのです。末席に位置する私ですけれど、自分の判断で関わっているのです。関わってる集合体はこれからも形をかえ大きさを変えますが、思い悩む私の性格は変わりません。そんなふうに今日も友達の人生に思いを馳せる私、そんなこと何もならないのに。この歳になっても自分スタイルの関わり方に疑問を持ち続けている私の方が、よほど可笑しな話です。自分の過去の生き方未来の生き方への疑問と同じくらい大きな問題、これらはすべて死ぬ間際まで続くのです。人としても成熟が果たしてくるのかどうかさえ定かじゃなくなった昨今、生きる規範をどこにしたらいいのかという光明が見えてきたことが、せめてもの救いです。
  1. 2008/11/12(水) 07:55:12|
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桜の春と同じ気持ちで

桜の花がもう満開、来週の娘の入学式に桜の下で写真を撮ろうという目論みは果たせそうにありません。冷え込みの厳しい日々が続いた冬を過ごしたので、春の到来もゆっくりかと予想していましたのにひとっ飛びの暖かさ、桜の樹もせかされるように花を咲かせました。

もうすぐ何度目かの、もう10回を軽く越えてしまいましたが、チャレンジすべき舞台が用意されています。慣れがあるといえばそうですが、暗闇から光の中に出て行く直前の緊張感は相変わらずです。たった一人で盤上に乗るのはこれが最後になるかも。年齢に抗うごとく若い世代と同じ内容で日々励んできていますが、如何せん肉体どころか脳細胞まで衰えてきているのを実感するに及び、潮時を意識せずにはいられなくなりました。来年春の舞台、どうやら娘にとって物理的に最後となる状況で、それなら私もと思わずにはいられません。私の場合披露を目的にしていないのはもう明らかで、続けることに意味があって、楽しむことに喜びを感じていて、もうそれだけで十分です。今回自分で選んだ曲、好きなテンポで好きなタイプの踊りです。やれることは全部やりました。過剰な期待を自分に課していないので、これ以上何もありません。出来ないことを自覚して、それに対して落ち込むこともありません。改善の余地のある箇所はもはや少なく、最後まで安定してやりきることが何よりの目標です。有終の美という言葉がありますね。私は見える形でそれを望んでいません。但し精神的には目指しています。自分を甘やかすことなく、自分で引いたラインを厳しく死守するごとく励んでいます。それこそが何より私にとって大切、余計なものに影響を受けなくなったところは歳を重ね経験を重ねた果報でしょう。ありがたいことです。

桜の花が散った頃、気持ちよくその日が終わっていることを願っています。成功、失敗、瞬間的には左右されるかもしれませんが、それも長続きはしないでしょう。結果は重要ではなく、精一杯を行なえたかどうか、私が自分を納得させる基準はそれのみです。今の気持ちは春を迎えるときと同じ、ワクワクしています。
  1. 2008/03/28(金) 08:43:23|
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舞台上の自分の姿を見て

ついにやってきた物、もう一つ。

発表会のDVD。

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  1. 2007/08/21(火) 09:46:12|
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ヴぁれえの舞台、終わりました

27日のヴぁれえ発表会。

なんとか無事終えることができました。親子共々、満足のいく出来だったと思います。諸々の小さな失敗や、思い通りにならなかった箇所、それらがあったとしても、それでもいい舞台であったと言えるでしょう。

娘の『眠りの森の美女』オーロラのグランパドドゥ、今までで一番の出来でした。舞台袖で観ていた男先生「なんだ、出来るんじゃないか」と思わずぼやいたほど。笑顔で踊る娘の姿、ドキドキハラハラしながら見ていた私の気持ちも落ち着きました。相手をして下さったオーストリア人の男性、よくぞここまで娘を支えて踊らせて下さいました。心よりお礼申し上げます。

私達4人の『パドカトル』。技術的なレベルは致し方ないとして、楽しく踊りきることができて、本当によかったです。緊張からくる些細な失敗はいつものこと。ただ、ライトの当たった舞台で踊る高揚感が私の背中を押してくれて、いつもより飛んで歌って踊れたような気がします。これが舞台の魔術です。

そしてプロ顔負けの舞台装置に囲まれてのコッペリア全幕。子供達の乗りに乗った演技と踊り、その雰囲気に酔うように見入ってしまいました。よくぞここまで皆揃って成長してくれた、技術的にレベルアップしてくれたと、誇らしいほどでした。

詳しいことはまた後日場所を改めて書き残します。ではでは。
  1. 2007/07/28(土) 22:29:22|
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舞台衣装、いろいろ

今月に入って、舞台の衣装が次々届きました。

まずは娘のものから。

これはコッペリア、友達役。村娘の定番ですね。
20070718140751_t.jpg


そして、スターズ&ストライプス。前回も同じ演目を踊りましたが、ヴァリエーションが違います(違う曲です)。子供の生徒数十人で踊る、30分ものオープニングです。このショッキングピンクのスカートが舞台で映える衣装です。
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娘のグランパドドゥ、『眠りの森の美女』オーロラの衣装。なんと新品です。
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細かいところも、こんなに凝った作りになっている豪華な衣装です。しかし娘の体型と合わず、手直しすること2日間、裏をひっくり返すと裁縫の痕跡がたくさん。こんなにステキな衣装を選んで下さった先生の期待に応えるためにも、一生懸命踊ってくれると信じています。
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最後に、私のパドカトルの衣装。今回が最後の舞台になるなら、これが最後の衣装に。いまだ自分に甘い踊りのままなので、今後2回のレッスン、少し自分を追い込んでみようと思っています。後悔しないように。
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  1. 2007/07/18(水) 16:16:29|
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娘のグランパドドゥ見学記

娘のグランパッドドゥの練習を初めて見ました。相手をして下さるダンサーはオーストリア人、日本人女性と結婚して主に日本で活躍しています。

いやはや、見るものではありませんわ。過酷な練習と状況を目の当たりにしますと、なまじっかそれが娘なもので、完璧に客観的に受け止めることは不可能です。

出来ないところが当然目に付きますし、弱いところも、不出来な原因もわかります。しかし、同時に娘が必死にやっているのもわかるので、心境は複雑です。

ともかく、娘が前から訴えていたように今使用しているトウシューズでは眠りのアダージョは無理だと言うことがわかりました。シャンクが柔らか過ぎて足を支える助けになっていません。たった1回履いて潰れてしまうというのも頷けます。中間テストが終わったらシャンクのしっかりしたトウシューズを探して試した方がよさそうです。

お金が大変掛かることで・・・でも仕方がありません。娘が受験勉強を犠牲にして打ち込んでいるバレエ、しかもグランパドドゥはバレエを習っている者にとっては憧れでもあり集大成でもあるわけですから、ここまで来たら優先すべきことは決まっています。時間とお金、無駄になるかもしれなくても後悔しないように最善を尽くさねば。

  1. 2007/05/27(日) 14:19:09|
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出来ること 出来ないこと

  1. 2007/05/07(月) 17:00:27|
  2. よまいgoto
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