Der durchsichtige cumulonimbus verhängt
HOME » Archives : 2005年10月
エントリー目次
- スポンサーサイト [--. --/--]
- Calbeeミックスビーンズグラノーラ・・宣伝します! [2005. 10/30]
- 夫婦で娘の文化祭に出かけてきました [2005. 10/29]
- 子供達だけ忙しそうで [2005. 10/27]
- シングルマザーよ、ファイトです。 [2005. 10/26]
- 舞台や映画はヤメられませんテ! [2005. 10/25]
- 秋は読書よりイングリッシュ?! [2005. 10/24]
- 日曜なのに6時半に目覚めたことについて [2005. 10/23]
- 娘の人生最悪の出来事 [2005. 10/21]
- 私の胃のカルテ [2005. 10/20]
- 復活のご案内 [2005. 10/19]
スポンサーサイト
--.--/-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Calbeeミックスビーンズグラノーラ・・宣伝します!
2005.10/30 (Sun)

穀物まるごとが主体となったグラノーラは、それだけでも栄養価が高いのに、これにはその上幾種もの豆が入っているのです。豆というのは、昨今イソフラボンなどで注目度大に。女性にとってうれしい食品と見直されてきています。その黒豆・あずき・ひよこ豆・大豆が入っているグラニーラは女性の強い味方であること間違いありません。必要な栄養があって低カロリー、このフレーズに弱いんだな私は。前はフルーツ入りのグラノーラを食べていましたが、これが発売されてからは毎朝ずっとこれオンリー、浮気したことはありません。
豆の食感はカリカリ、サクサク。う~ん、グッドテイスティ!!おいしいんですよ。それなのに、どうして取り扱っているスーパーが少ないんでしょう。家の近所にはダ▲エー(もうすぐなくなる?)・イトー■ーカドー・ジ●スコその他数件のスーパーがありますが、ミックスビーンズを置いてあるのは地元資本のスーパー一軒のみ。たぶんこの商品の素晴らしさが世間一般に周知徹底されていないせいだと思うのです。もう少しこれが売れるようになれば、どこのスーパーの棚でも発見することが出来るようになるでしょう。そして、人気薄による【商品発売停止】になることもないでしょう。・・・今の状況ではその怖れも考えられて、私はとっても不安なのです。
ですから、こうやってブログでささやかに宣伝。
Calbeeミックスビーンズグラノーラ
http://www.calbee.co.jp/shohin/productdetail.php?productcd=20050319161308&pref=
みんなで食べて、スタイルを保持しながら健康になりましょう、Nё★
夫婦で娘の文化祭に出かけてきました
2005.10/29 (Sat)
娘の学校の文化祭は、運よくはずれた天気予報に恵まれて(?)、校内大混雑の盛況振りでした。ちょっとした校舎の改修工事の影響で例年より手狭ではありましたが、企画部が上手くスペースをやり繰りして、催し物は滞りなく催されていました。今年は娘お薦めの【軽音楽部】の発表をみてきました。何のことはない、簡単に言うとバンドによる【ロック・ライヴ】です。ヤイコやグレイの曲を熱演していました。やはり高校2年生のグループのレベルが高くてカッコいい!娘と同学年の友達も「おぉっ!」と目を見張る腕前でした。
娘は、黄色いエプロンをつけてお菓子売り場で売り子をしていました。あまりお客さんもこない様子、ちょっと暇そうだったかな?偶然友達連れで訪れていた息子と鉢合わせ。彼が妹の学校を訪問するのは初めてのことです。娘の学校の裏にある某県学生寮に、息子の友達が下宿しているのがきっかけに。大学生が連れ立って高校の文化祭・・ちょっとナッシングな光景かも?!
来週は、今度は息子の大学の学祭です。そちらは都合がつかなくて行けそうにないのが甚だ残念。大きくなった子供の行事に参加するのをバカバカしく思うむきもありましょうが、それも後数年のことですからね。楽しめるうちはうんと楽しむつもりです。
子供達だけ忙しそうで
2005.10/27 (Thu)
娘は文化祭の準備で、今週は帰宅が遅かった。有志で募ったお菓子販売係りに打ち込んでいる様子。高校生はクラス展示も強制ではなく自由参加なので、部活動に所属していない娘のような立場では、文化祭も手持ち無沙汰。なにかに取り組まねば参加している実感も沸かないと、張り切って活動しているのが好ましい。息子も学祭の準備に入ると共に、サークルの総務委員に指名されて、そちらの仕事も忙しそう。総務、何のことはない雑用一手引き受け係り。大学のキャンパスが1~2年と3~4年で違う為、1年の後期から委員になるらしい。附属高校の時の部活の先輩からも「総務は激務だ。」と叱咤激励されたらしい。えぇ、毎週練習後のコンパの予約をする為携帯電話のアドレスに居酒屋のリストが。これでいいのか、大学生。
それで主婦業も母親業もぐっと気楽な身分の私は、それがまたうれし。趣味に打ち込み、子供に教わった携帯ゲームをし、ベランダでボーッと植物達と戯れている日々。これでいいのか、ワタシ・・もちろんイイのだ!
シングルマザーよ、ファイトです。
2005.10/26 (Wed)
この夏に今まで働いていた会社を辞めたシングルマザーのⅠさんから、待ち焦がれたメールが来ました。「お待たせしましたが、やっと仕事が決まりました!」
ほんと待っていましたよ、ずっと心配しながら。これって地域性もあるのでしょうが、身の回りに離婚を経験したシングルマザーの多いことったら。ご多分に漏れず、子供の養育費など別れた父親の支払いも滞りがちであてに出来ない人がほとんど。これって切実な話なのです。母子家庭に出る手当ても十分ではない上、あらためて再就職先を探そうにも、子連れに中年女性にとって勤務時間も給料も厳しい現実が立ちふさがっているのです。
Ⅰさんなんてまだ条件のいいほう。結婚していた時から自営業で共働き、曲がりなりにも経験を積み重ねた業種において才能を認めてもらえるから、いいお給料が貰えていました。ところが人間関係やら不得手なセクションに回されるやらで体調不良を起こし、内蔵の病気にかかってしまったのです。冷静沈着な彼女もさすがにがまんが出来なくなり、突発的に会社を辞めてしまいました。
ところがそれから1ヵ月後、突然会社がリストラ策を打ち出し、早期退職者には退職金を3倍支払うと発表したものですから、彼女の落胆ぶりは相当なものでした。気の毒としか言いようがありません。
それから職探しが始まりましたが、中学生高校生の母親であることを考慮して、あまり遠方でないこと、夜遅くまでの業務でないこと、購入したマンションのローンを払えるお給料を出してくれること、と条件もいろいろと高くなってきます。そんな仕事が都合よく見つかるはずもなく、9月から働きたかった彼女の希望はかなえられませんでした。生活力のあるⅠさんですので、日々の暮らしがいきなり逼迫するわけでもないでしょうが、それでも毎月入ってくる物がないと今後困窮の一途をたどるのは明らかでした。3次面接で落ちたり、請われてもお給料面で折り合いがつかなかったりと、精神的にキツイ数ヶ月が続きました。私も彼女の気持ちを考えるとだんだんメールしにくくなり、ここ半月は音沙汰なしの構えでした。
だから心からホッとしたのでした。よかった、よかったです。お子さん二人は私の娘のお稽古仲間、これで安心して学業や習い事に打ち込めることでしょう。
きっと仕事が決まるまでにイロイロ積もり積もった物もあるはず、友達と誘い合って愚痴を聞きがてら飲み会と参りますか。
舞台や映画はヤメられませんテ!
2005.10/25 (Tue)
んだんだ、最近鑑賞した各分野の作品をば述べねばなんねぃな。(どっこのお国訛り?!)作品といえばものすごい時間を費やした、まず本の話をしなくちゃいけないところなんだけれど、これは割愛。何十冊もの履歴の多くをすでに忘れてしまっているし。しいて上げれば角田光代【あしたはドロミテを歩こう】、平安寿子【くうねるところすむところ】、村山由佳【楽園のしっぽ】、ジル・チャーチル【ゴミと罰~ジェーンシリーズ】、藤沢周平【秘太刀馬の骨】なんて感じ。
映画は、あれっ考えてみると最近あまり観に行かなかったなぁ。【真夜中の弥次さん喜多さん】、【容疑者室井慎次】、【サマータイムマシンブルース】、【蝉しぐれ】のみ?【チョコレート工場】と【ルパン】はついに見逃してしまったし。
舞台。春には【バットボーイ】【最悪な人生のためのガイドブック】を観たけれど、以来ミュージカルはご無沙汰。クラシックバレエはやはり春にKバレエカンパニー【白鳥の湖】の後は、夏に【日本バレエフェスティバル】とKバレエ【放蕩息子】、Noism05【Triple Bill】、秋になって新国立バレエ研修生【公開レッスン】。またついこの間舞台ではないけれど、コンドルズ・珍しいキノコ舞踊団・ニブロールによる【恋よりどきどき コンテンポラリーダンスの感覚】展にも行きました。来月にはKバレエ【くるみわり人形】も控えていて、それで今年は打ち止めになりそうです。なんたって年末自分が舞台に立ちますのでね、ちょっと時間にも気持ちにも余裕がございませんのですわ。
んにゃ、こうやって書かれた物サ見るとぉ、恥かしながらワダスの嗜好を披露しちまったみてぃでないかい。 (どんどん無理がたたる訛り方に!)
そのとおり、えぇ私は〇山未來の才能を愛し、熊△哲也の実力を認め、日本映画の隆盛に寄与しているのです。伸び盛りの若者の素晴らしい演技に触れるのは素敵なことですし、完成度の高い芸術に接する喜びは何物にも替え難いです。マニアックだと言われましても、こだわりを持って作られた日本映画の意図的な演出やカメラワークを見つけた時のゾクゾク感、ハリウッド映画では味わえませんことよ。監督の個性がハッキリ現れるのが今の日本映画の特徴です。あっ、アジア映画全体に言えることかもしれません。舞台は娘や友達と一緒に出かけることがほとんどですが、映画はたいてい一人です。友人達からは「よく出かける気になるよね、元気だね。」と言われますが、元気じゃなくても鑑賞は出来るのです。
これらに費やすお金は一年に10万円ほど、予め別口通帳にストックしておきます。これらは私の主婦業に対するボーナスです。ハァ、いげねッすかァ??
秋は読書よりイングリッシュ?!
2005.10/24 (Mon)
本屋で売れ筋の新書を、買わずに図書館に予約して借り受け、次から次へと読む日々が数ヶ月も続いたでしょうか。著者の皆様には申し訳ない話ですが、全部買い求めていたら何十万円にもなっていたことでしょう。某ダンス系趣味に邁進する生活を送っている私はそちらにもただならぬ出費、むろん身分は主婦ですので、そんなに節操のない無駄使いは出来ようはずもありません。最近出版される本は、どうでしょう、男女の密やかな(!)関係に関する描写が多いと思われませんでしょうか?本のテーマに恋愛が入ってくるのは仕方のないことです。私たち人間は性を男女に分け隔てて生れ落ち、お互いの愛憎が人生を楽しくも苦しくもするからこそ生きていておもしろいのです。しかしこうもあちら様こちら様の本に描写が出てきますと「どれもこれも必要なわけ?」と胸焼けに似た気分に陥りました。
読者は一様にそれを求めてはいないと思うのです。ただ、作家さん達のほうでも過剰なサービス精神のみで挿入しているわけではないでしょう、もちろん作品に必要だからなわけです。単に続けさまに本をむさぼり読んだ私の行動がいけなかったんでしょうね。というわけで、しばらく読書をするのを止めることにしました。
精神が欲するその時まで、本のページは1枚たりともめくらないことにします。しかし問題が一つ、それはずっと読み続けている婦人公論。最近ではテーマも一巡した感があり、こちらも満腹状態なのです。世の女性群、そんなことにばかりとらわれて生きてはいないわよ、と叫びたい気分。あぁ、過去には「世の中には同じような悩みを持った人や、まったく別の生き方をしている人がいる。」なんて勇気付けられたこともありましたよ。そういう意味では救世主的な雑誌でもありました。連載されている二人の作家さんは私のお気に入り、それを読めなくなるのがネックになって今も買ってはいるのですが。
嗜好の変化は、私の人生観が変わったからなのでしょうかねぇ。それとも経験や見聞が積み重ねられた結果なのでしょうか。マイブームは行く川の如し、流れ着いた先々で新たな出会いもあるのでしょう。目下の関心は【英語】?!?!あらら、強靭なアレルギーはどこへ?英語好きな娘が取り始めた英字新聞とTV「英語でしゃべらないと」の影響です。勉強・・はしていません。学ぶほどの情熱はありませんので。今日もアルファベット読みさながら英字新聞とタッグマッチです。「お母さ~ん!それ違~うっ!!」と娘の叱責が、ほら聞こえませんか?
日曜なのに6時半に目覚めたことについて
2005.10/23 (Sun)
子供が大学1年生&高校1年生とくれば子育ても一段落、世間で認知されるところによれば、肩の荷もだいぶ軽くなったといえるのでしょう。確かに確かに、気苦労は減って楽になったと思います。気を抜いているわけではありませんよ、高校1年のほうはなんたって娘、思春期真っ只中でこれから難しい出来事に直面するかもしれませんからね。子供に手をかけなくなって、休日の朝くらいゆっくり寝ていてもよくなったのですが、私の早起きはすでに習慣になったとも言える域に突入した感があって、日曜とて7時には布団をたたんでしまっているのです。日曜の朝くらいゆっくり寝坊していたい連れ合いや子供は、9時頃にならないと起きませんので、その間に洗濯機を回し新聞を広げながらゆっくり朝ごはん(ヨーグルトだけど)。たまたま教習所通いをしている息子は7時に起こしていますけれど。
すっかり冷え込むようになったベランダに出て、植物達の健康状態をチェックするのが朝一番の仕事。私の性癖により育成に重点を置いたベランダ園芸なもので、花咲き乱れるガーデン・・とは程遠い有様。木はもちろん草といえども宿根草が多いから、花の時期を除くとBeautifulでないのが悩みの種。咲いた花の苗を買ってきて植え替えを心掛ければ、常に花咲き乱れるベランダ園芸を堪能できるものを、それを許さない私の良心が。咲き終った草花でも、手をかければ翌年また花咲かす命を宿しているのですもの。命に対する良心を優先するか、園芸の完成度と自尊心を優先するか。答えを出せそうにない問題です。
娘の人生最悪の出来事
2005.10/21 (Fri)
私が春から胃の調子を崩した顛末はすでにブログに書きました。これも更年期の一種?とも思いました。上の子供がなんとか大学生になり、子離れを寂しく思うあまり・・なんて、断じて認めるわけにはいきません。よくそんな話は見聞きしますが、私の場合、息子を曲がりなりにも一人前にした開放感でいっぱい、すりゃうれしいのなんのって。おまけにまだ高校生になりたての娘が下に居りまして。だから精神的な打撃によるものではないと思うのです。更年期とも言い難いですが、加齢による体調の変化であることは否めません。原因があるようなないような・・と書き始めましたが、症状を悪化させた原因については大いに思い当たるのです。それは、娘のこと。
母娘して、趣味としては少々打ち込みすぎるきらいのあるバレ〇です。二人とも十数年も踊り続けていれば、発表会での踊りもどんどん難易度が高くなってきます。私は早々パドドゥを経験させてもらいました。娘も、この冬の舞台で初グランパドドゥに挑戦させてもらうことになっていました。外部のサマースクールやコンクールも果敢に挑んできた娘の意欲を買って、先生方は若く力量のある男性ダンサーを相手に選んで下さいました。少々パートナー費用は高くなりますが、がんばっている娘を評価してくれた上でのことと、私も快諾しました。
パートナーと組むに先立って、6月頃から男先生振り付けでグランパドドゥの練習が始まりましたが、間もなく娘が両膝の下の痛みを訴え出しました。早めに治療しようと掛かりつけの整形外科に行きましたら、ついた病名が『オスグッド病』。成長期に激しいスポーツをすると膝下の骨のところに負担がかかって骨が変形するというものでした。幸い娘はまだ変形もなく、無理をしなければ大丈夫とのこと、バ〇エも加減しながら続けていました。でもやっぱりジャンプすると痛みますし、階段を駆け下りても痛みます。そのうち歩いていても痛いと言い出し、少しでも痛みが和らぐよう今度は近所の接骨院で治療を受け始めました。
その様子を見ていた〇レエの先生から電話があったのは、6月半ばを過ぎた頃だったでしょうか。ちょうど先生の息子さんも『オスグッド病』にかかり、ここ数ヶ月満足にレッスンが出来ずにいたのです。娘もこの後男性パートナーとの練習が始まれば膝下にかかる負担は並大抵でなくなります。骨の変形も覚悟しなくてはなりません。「今回はグランパドドゥを見送ったらどうかな。」生徒の健康状態を管理すべき、先生としての当然の判断でしょう。
選択肢は3つでした。まず骨が変形してでもグランパドドゥを踊る、次にグランパドドゥはあきらめて負担の少ないヴァリエーションを踊る、最後に発表会には出ない。なにをどう取り繕うわけにもいきませんので、娘には正直にそのまま話しました。案の定激しく泣き崩れる娘、瞬間的に「出ないっ!発表会には出られないっ!!」と叫んでいました。その夜、娘は一晩中泣き明かしたようでした。次の朝、少し冷静になったところを見計らって声をかけますと「やっぱり好きなバレ〇だからこそ、舞台に出ないではいられない。今回はグランパドドゥはあきらめてヴァリエーションに出してもらうことにする。」と言い残して学校に向かいました。
どういう答えを出しても受け止めていこうと考えていた私でしたが、そう決意するに至った娘の思いを想像すると胸がつぶれそうでした。それでも娘が今の現状を受け止めて踏ん張っているのに、親がおたおたしていられません。先生にその旨伝え、今後の娘の様子を静かに見守ることにしました。
変化が起こったのは数日後でした。ショックを受けた娘は、ストレスでいきなり胃炎を起こしていましたが、その夜はちょっと様子が変でした。バ〇エレッスンから帰宅し夕食を食べ始めたところで急に背中とお腹の痛みを訴え、しまいには転げまわり始めたのです。痛みが出た場所は、ちょうど盲腸のあたりでした。喘ぎながら苦しがる娘の様子を見てこれは只事ではないと判断しました。119に電話し最寄の救急病院を教えてもらい、片っ端から電話を掛け続けました。その数9箇所!?外科医がいない、ベッドが満床、高齢者用病院なので無理、いろいろな理由で8箇所目まで断られました。私の住んでいる街は過疎地ではありません。首都圏の真っ只中なのです。1時間以上電話をかけ続け、最後の1箇所「1時間ほどお待ち頂くかもしれませんがどうぞ。」の声を聞いた時には、藁にもすがる思いでした。
40分ほどタクシーを飛ばして行き着いた公立病院、担当してくれた女医さんの親切な診療がどんなにありがたかったことか。レントゲン、血液検査、尿検査、救命救急病院なので設備はしっかりしていました。でも結局は原因不明。痛み止めだけもらい帰宅しました。薬が効くまでさらに30分、娘が寝入ったのは、2時半を回った頃だったでしょうか。
次の日は学校を休み、近所の医者に連れて行きました。その頃には、もしかして・・と思い当たったのです。「最近娘にとってすごくストレスになる出来事があったのですが、それで腹痛が起こりますか?」とお医者さんに尋ねますと「あぁ、よくありますよ。娘さんの腸はほとんど動いていません。そのせいなんでしょうね、痛みは。」とあっさり。ならば、これはもうしかたのないこと、日にち薬で娘が回復するのを待つしかありません。時間の経過が症状を緩和してくれることでしょう。娘は週末に予定されていた学校行事の高原キャンプに何とか参加できましたが、おいしい食事もほとんど食べられず、長距離ハイキングも膝の痛みで担任からストップがかかり、踏んだり蹴ったりの思い出作りとなりました。それでもクラスメートと過ごした数日間は、娘にとっていい気持ちの切り替えになったようです。
その後、日を追うごとに娘の精神状態は安定し、腹痛も治まってきました。しかし一方で私の方は、そんな娘を見守ってきたストレスが胃を直撃し、一気に症状を悪化させたのでした。その後私の胃腸科のお医者さんに娘も再度診てもらい、腸を働かせる薬を服用することとなりました。今では二人揃って便秘知らず、学校で腹痛を起こし度々保健室のお世話になっていた娘は、すっかり健康になりました。娘は夏休みには毎年参加している〇レエのサマースクールも経験し、今後も趣味としてバレエを楽しんでいく気持ちになったようです。その分バレ〇に対する過大な情熱は少し冷めたかもしれませんが、それくらいでちょうどいいでしょう。彼女には語学を究めるため大学に進学する希望もあるのですから。
私と娘の消化器系の疾患騒動は、秋に入って漸く沈静化しました。おいしい物をおいしく食べ、無理せず気長に今後共趣味を楽しんでいく私達です。
私の胃のカルテ
2005.10/20 (Thu)
かくも楽しき(?)Netライフから離れていた理由、それは私自身の健康状態に起因していました。春先から胃の辺りに不快な症状があり、物を食べても食べなくても胃が差し込んだりすることは珍しくありませんでした。十数年前趣味の〇レエに出会うまではそれはひどい胃弱で、医者で処方される胃薬を欠かすことが出来ませんでしたので、年齢に伴いまた胃が悪くなったのだろうとたかをくくっていました。
ところが、ストレスや疲れによる胃潰瘍や十二指腸潰瘍であれば、いつもそうだったように夜半にのたうち回るような激しい痛みが襲ってくるのが常で、今回のように四六時中不快なのは経験がありません。ほんと、目を覚ましている間中ひどく不快なのです。動悸を感じるのは加齢によるものかもしれません。でも胸のあたりがつかえたような感じ、胃のギューッと締め付けられた感じがどうも尋常ではなかったのです。私の家庭医である内科のお医者様から医の薬を出してもらいましたが、数ヶ月服用しても症状は快方に向かいませんでした。
おりしも仲良くしていた友人が春に胃がんの手術をしていました。幸いにも術後の経過はよく、その後抗がん剤の治療を受けながらも健やかに日常を送っています。その友人と会う度「もしや自分も?」という不安にかられて、情けないことに友人にあった後は、必ず寝込むほど具合が悪くなってしまいました。他の友達がそんな私の様子を見て、もう会わないように・・と止めたほどです。意気地のない話です、病気を克服しようとがんばっている友人に申し訳なくて。
ちょうど今年の夏に区の節目健診を受けることになっていました。そこで血液検査、乳がん健診などと一緒に胃のレントゲン検査も受けることになっていました。そう、バリュウムを飲むあれです。それで胃の具合もわかるであろうとひたすら予約した検査日を待っていましたが、その日が来るまでにも症状がどんどん悪くなり、ついには食事を取れない日もあって体重が減ってくるありさまでした。
そんな時、友人の一人が「いい胃腸科を見かけたわよ。」と教えてくれました。彼女も最近胃の調子が悪く、近所の総合病院で胃カメラを飲んで大変苦しい思いをしたばかりでした。胃にピロリ菌が見つかって治療中でしたが、治療後にまた胃カメラの検査があると知り、あんなに辛い思いをするのはもうゴメンだと薬を止めてしまった猛者です。その彼女が会社からの帰り道駅前で『麻酔をかけて内視鏡検査を行なっています』の看板を掲げた医者を見つけたのです。
駅前にはそこからそう遠くない場所に有名な胃腸科病院があり、たいそう混雑していると聞いたことがあります。その他に胃腸科は今までなかったはず、たぶん開院してからそう経っていないのではないかと思われます。私も十数年前胃カメラを飲んでその苦しさを知っていましたので、麻酔に危険がなければこれを利用しない手はないと考えました。診立てのいい医者かどうかは自ら受診してみないことにはわかりません。もうすぐ健康診断も控えていましたが、夏の暑い日私は思い切って出かけていったのです。
お医者さんは男性で私と同年輩かと、丁寧にゆっくりと症状や治療法を説明して下さいます。最初は薬で様子を見ることにしましたが、この先生ならば大丈夫であろうと見極めをつけ、2週間後に自ら胃カメラの検査をお願いしました。もちろん麻酔つきで。麻酔をかける副作用やこれまでの検査数なども話してくれましたので、なお前向きに検査に臨むことが出来ました。
検査日、いろいろ準備をしてベッドに横になったのは覚えていますが、お医者さんが「この注射をすると頭がボーッと・・・」と言われたところで意識がなくなりました。数分後看護婦さんに声掛けしてもらった時にはすでに検査は終わっていて、マッサージチェアに移動して1時間ほど休んでから帰宅しました。麻酔をかけたといってもその後眠気がさすこともなく、本当に軽いものであったと実感しました。
その日のうちに、写真を見て診断が下されました。逆流性食道炎・びらん性胃炎です。そして2週間後、病理検査に異状のなかったことを告げられました。素直にホッとしました。人間いつかは命尽きるものとわかっていても、子供を育てている母親の立場としてはもう少し今生に未練があります。病名がわかってもすぐに症状が治まるわけではありませんが、それでも一安心、気長に薬で治療していくこととなりました。
もうひとつよかったのは、長年悩み続けてきた便秘を解消する薬も処方してもらえたことでした。市販の便秘薬は便をやわらかくして排出するもので、腸の働きがよくなるわけではありません。しかも長年使用していると自分で出す力は益々弱くなるというのです。幸いなことに腸の働きをよくする薬があるとのこと、それをあわせて処方してもらいました。ついでといってはなんですが娘の便秘の話もして、後日受診させることになりました。この話はまた別に。
こうしてこの後数ヶ月、現在に至るまで私は薬を飲み続けています。途中症状に合わせて薬を変えてもらったりもしました。完全に治った、というところまでは行きませんが、胃を意識しなくてもよい程には改善しました。この医院に通ううち、何件も内視鏡検査を受ける人を見かけ、胃カメラの辛さに麻酔を希望する人の多いのを知りました。身の回りの友人達にも医院の様子を知らせ、万が一の時はここで胃カメラを、と宣伝に余念がありません。医者の評判はよくも悪くも口コミほど強いものはありませんので。
毎日大量の薬と共に暮らしていますし、肉類魚類揚げ物類ご飯などはたくさん食べられなくなりましたが、それでも日常生活にさわりはなくなりました。またバ〇エも楽しめるようになりました。なによりも、物事に前向きに立ち向かえるようになったのがうれしいです。自分の健康に自信が持てた証拠ですね。食事内容にも気を配るようになり、食品成分表の本を書店で求めて献立を考えています。(そのわりにはたいした物を食べていない・・?)年齢と共に体の弱い部分に故障が出てくるのは私だけではないでしょう。それでもどうにか上手く体と折り合いをつけて生きていかねばなりません。いいえ、楽しく生きていきましょう。そういう気概を心に片隅にしっかりしまった、夏の出来事でした。
ほうら、こうやってNetを楽しんでいる私。ふふっ、決心は実行に移してこそ価値があるというものです。
復活のご案内
2005.10/19 (Wed)
復活のご案内・・なんて大そうな。でも、日記を書くことが日課になっていた私が、もろもろの事情でNetから離れ早数ヶ月。―もうこの世界から引退してもいいや、なんて考えたことも一度や二度ではありません。いっそそうしていたほうが、日常の時間繰りにゆとりが持ててよかったのかもしれませんが、それでも私はNetの世界に復帰することに決めました。
この期間、Netにとらわれていた時間のほとんどを読書に費やしました。ものすごい量の本をむさぼり読みました。頭の中が文章だらけになって、行間も見当たらなくなるほど、それほどの状態でした。で、思ったのです「つめこんだ文章は吐き出さねばならぬ」と。
なに、名作名文話題作に日々触れた成果、それらが身になって文章力が上がったのを披露しよう、なんてお生憎様。長いことパソコンから離れていたので、キーボードで文章を綴る動作さえおぼつかなくなってしまった私なのです。ただただ、受動ばかりじゃいけない、能動的に生きていかないとこれからの人生面白みが半減するのではないか、という漠然とした恐れを抱いたのです。成人した頃には充実していた脳細胞の活動も、ほら年々動きが鈍くなり、もしくは死滅している昨今です。筋肉や骨同様多少負荷をかけてやらないと、老人特有の症状があらわれる日があまり早くなっては困りますので。
Netを休んでいた原因の一つ、それはパソコンの不具合。それが、昨日突如として解消されました。えぇ思い切ってプロバイダを変更したのです。この5年間NT〇の接続で某大手プロバイダにお世話になってきました。が、ここ数年何度も動きが緩慢になり、フリーズを繰り返し、それに我慢できなくなったところでその都度パソコンを初期化して解消を図ってきました。それでもまた数ヶ月経つと・・の繰り返し。フレッツなんたらやサービスのウィルス対策ソフトが、私のパソコンと相性が悪いんだろうな・・と想像できるようになりましたが、じゃどうするか。ふと思い出したのが、マンションの管理組合が契約しているブロードバンドのプロバイダ。ひょっとしてこれが救いの神になるかも、とサービスセンターにメールで問い合わせてみたのです。
親切な返答によれば、面倒に思われた接続の手続きは何もなし。パソコンに施す接続の設定も何もなし。それを知った時は「ウッソォ~~!!」と叫んでしまいましたわ。恐る恐るモデムに差し込んでいたLANケーブルを外して、壁にあいている”穴”に突っ込んで、さて、どうやってNetに接続するの?とマニュアルのページをめくるも、そんな説明はどこにも見当たらない・・。しばらく考えて、それでもわからない時私が取る行動は、えいっやっちゃえ!というもの。いきなりインターネットエクスプローラーをポチッとクリックすると、あらあらあらっ、グァ~~ン!Netにつながっちゃった!!!
なんだなんだ、こんなことならこのマンションに引っ越してきた2年前にさっさとプロバイダを変えちゃえばよかったんだ、としばし自己嫌悪。でも間もなく復活、だってそれにも増して喜びの方が大きかったんですもの。毎回行なっていた接続の手間はないし、サイトの移動も瞬時に。動画もスムーズでフリーズ知らず。しかもしかも、これ全部料金がタダ?!?!
NT〇や今までの某大手プロバイダに電話して、即刻契約を解除したのは言うまでもありません。今まで支払ったウン万円の費用は考えるだに悔しいけれど、授業料だと思うことにしましょう。
というのが、私のNet復活劇でした。そもそもパソコンの雑事に立ち向かおうと思えるようになったのは、原因となった事象が解決の方向にあり、且つそれによって精神的にもゆとりが感じられるようになったから。そのあたりの説明は、また別に。
ともかくも、復活を果たした私のNetライフに幸あらんことを。
